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名鉄サ2250形電車 (初代) : ウィキペディア日本語版 | 近江鉄道電1形電車[おうみてつどうでん1がたでんしゃ]
近江鉄道電1形電車(おうみてつどうでん1がたでんしゃ)は、近江鉄道が自社の保有する路線の電化完成に際して1924年(大正13年)に新製した、近江鉄道初の電車(制御電動車)である〔。 本項では、電1形が電装解除・制御車化されたのちに称した車両形式であるクハ21形電車(初代)・クハニ23形電車・クハユ24形電車〔、および前掲各形式の車体鋼体化名義で戦後に竣功したクハ21形電車(2代)〔についても記述する。 == 概要 == 近江鉄道は創業以来、保有する鉄道路線の動力に蒸気動力を用いていたが〔「私鉄車両めぐり(83) 近江鉄道 上」 pp.267 - 268〕、関東大震災以降急速に普及した自家用車および乗合バスへの対抗上〔、運行経費節減ならびに運行速度向上を目的として保有する路線の電化を計画した〔。電化工事は1923年(大正12年)12月28日付認可〔によって開始され、1925年(大正14年)3月12日〔に近江鉄道本線の一部区間(彦根 - 高宮間)および多賀線全線(高宮 - 多賀間)が架空電車線方式・架線電圧600V規格によって電化された〔。電化完成に際しては電1形1 - 5の5両の電車が新製され、同日より運行を開始した〔。同5両は1924年(大正13年)12月24日付認可〔によって加藤車輌製作所において新製された木造ボギー車で、台車に日本国内では唯一の採用例となるドイツ・リンケホフマン (LHL) 社製のものを採用した点が特徴であった〔。 近江鉄道本線のうち、非電化のまま残存した高宮 - 貴生川間については1928年(昭和3年)4月18日付〔で電化されたが〔地元資本による従来の近江鉄道の経営体制下においては電化区間延伸に要する資金が調達できなかったことから、同時期に近江水力電気を吸収合併し、滋賀県一円を電力供給下に収めた大手電力会社の宇治川電気に経営権を移譲、近江鉄道は宇治川電気の子会社となった。電化工事は宇治川電気の主導により実施されたほか、電化区間延伸に伴って増備された電車は宇治川電気電鉄部(のち山陽電気鉄道として分離独立)において廃車となった中古車であった。〕、同区間は架線電圧を1,500V規格とし〔、同時に既存の電化区間についても同日付で架線電圧を1,500Vに昇圧した〔。架線電圧昇圧に際して電1形は全車とも電装を解除して付随車となり〔、サハ21形21 - 25と改称・改番された〔。1930年(昭和5年)には全車とも運転台機器を再設置して制御車クハ21形(初代)21・22、荷物合造制御車クハニ23形23、郵便合造制御車クハユ24形24・25とそれぞれ改称〔、その後1947年(昭和22年)〔に同形式の鋼体化改造名義で新製された半鋼製車体の制御車クハ21形(2代)21 - 25へ車籍を継承し、事実上廃車となった〔。クハ21形(2代)は初代と同様に荷物車もしくは郵便車への改造を経て、1968年(昭和43年)まで在籍した〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近江鉄道電1形電車」の詳細全文を読む
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